2007年02月16日

戦争と文学

先ほど、代ゼミの解答速報をみていたら慶応文学部の問題が公表
されてました。ペラペラ眺めていたら、見たことがある文章を発見!!
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見たことあったのは、英語ではなくて小論文の課題文です。
まさに文学部という問題設定でしたが、この内容は学部を
問わずにおよそ大学に進学希望するなら誰もが読む価値の
ある内容だったかと思います。

なお、慶応側の設問に出てくるテオドール=アドルノという人は、
「アウシュビッツのあとで詩を書くことは野蛮である」と言った
ことで有名な人物ですが、これはものすごく重たいフレーズです。

文学はなんらかの表象(書き表すこと)を一つの特徴としてもち
ます。身近な言い方にすれば「表現」ということになります。

ただ、はたしてアウシュビッツでのユダヤ人の大量虐殺という
おぞましい出来事を表現する手段があるでしょうか?

ホロコーストを描こうとした文学者は口をそろえて、
それを描き出すことの不可能性を口にします。

そのような難題に直面したとき文学にあるいは言葉に
なにができるのでしょうか。


といった、文学の無力感を提示する考え方がある一方で
慶応側の問題文ではそれとは対照的な考えかたが提示
されているように思います。

文学の2つの側面を踏まえて、設問に答えさせる問題は
とてもハイレベルな出題と言えるでしょう。

さて、問題文の方ですが、大学を考えるかたには必読の
メッセージであるように思いますのでのせておきますね。
(ここから典拠しました。思想2006年第9号 No.989 バックナンバーで見ることができるはずです)


以下の文が問題文として出題されました。

「戦争」の対義語としての文学
岡 真理

 一九四八年七月、イスラエル軍に占領されたパレスチナ人の街リッダでは、住民一万人以上が追放された。炎天下、ヨルダン領となった西岸を目指して歩く人々。体力のない子どもたちが次々に倒れ、道には子どもたちの無数の遺体が残されたという。乾きを癒そうとする人々が井戸に殺到し、内臓を踏みつけられて死んだ子ども、井戸に落ちておぼれ死んだ子どももいた。私たちは、その子らのことを知らない――

 一五年にわたる内戦から解放されて一六年、かつて「中東のパリ」と謳われた面影を少しずつ取り戻しつつあったベイルートの街は今、イスラエルの猛爆により再び、瓦礫と化そうとしている。死者・行方不明者はすでに千人を越えた。かつてサルトルは、アフリカで子どもが飢えているとき文学に何ができるかと問うたが、では、イスラエルの空爆下で今、レバノンの人々が殺されているとき、文学にいったい何ができるのか?

 詩人の黒田喜央はひもじさを忘れるために文学作品を貪り読んだという。だから彼は、文学をめぐるサルトルの問いを知ったとき、サルトルがなぜそう問うのか理解できなかった。黒田にとって答えはあまりに明白だったからだ。 ――文学とは飢えた者のためにこそある。

 この逸話はサルトルの問いに孕まれたある種のエスノセントリズム――ないしはオリエンタリズム――を明らかにしてくれる。その問いが無条件に前提としているのは――そしてその前提は、この問いを契機に開催されたシンポジウムに参加した文学者らによっても共有されていた――、文学作品を享受するのは「われわれ」であって、決して「彼ら」ではないということ。「彼ら」は、その飢餓の現実が作品で描かれ、「われわれ」による救済の対象となることはあっても(それゆえに文学は無力ではないとする応答もあった)、「彼ら」もまた文学の享受者となること、言いかえれば、彼ら自身にとって文学がいかなる意味をもつかは、そこではまったく問われてはいなかったように思う。

 文学作品、とりわけ小説を著すことが平時にのみ可能な特権的営みであることは否めないとしても、非常事態を生きる者たちにとって必要なのはあくまでも空腹を満たすパン、あるいはつつがなく生きる平和であって文学などではないと、もし考えるとしたら、文学とは平時を生きる者のみに意味あるもの、彼らだけが堪能することを許された奢侈品ということになりはしまいか。だからこそ、アフリカで子どもが飢えているときに文学に何ができるかという問いは、おそらくサルトル自身の思いとは別の意味で、文学の本質にかかわる問いなのであり、だからこそ、包囲されたサラエヴォで『ゴドーを待ちながら』を上演することは紛れもなく、その問いに対する一つの、根源的な応答にほかならなかった。

 二〇〇二年四月、イスラエル軍の大侵攻に見舞われたヨルダン川西岸地区、ベツレヘムの街は依然、重度の外出禁止令が敷かれ、人々は何週間にもわたり自宅で囚人と化していた。訪問したあるお宅で二〇代半ばの娘さんが語った言葉――来る日も来る日も家に閉じ込められて、気が変になりそうです。本を読んだりして、なんとか気を紛らわしています……。バルコニーに出ただけでイスラエルの狙撃兵に頭を撃ち抜かれる。日常それ自体が狂気と化した情況のなかで、だからこそ、本を読むことが希求されていた。いつにも増して、何にも増して切実に、生き延びるために(果たして私はこれまで、そのときの彼女ほど切実に、本を読んだことがあるだろうか……)。人間にとって文学が真に生きる糧となるのは、平時を平時として生きる者たちにおいてなのではなく、私たちにとっての例外的情況を日常として生きるこれらの者たちにおいてなのではないか。

 イスラエル軍侵攻下のガザを舞台にした、ヨルダン在住のパレスチナ人作家イブラーヒーム・ナスラッラーの小説『アーミナの縁結び』が描くのもまさしくそのことだ。肉親が、友人が、隣人が、毎日のように殺されていくなかで、アーミナは愛する者たちの縁結びに奔走する。アーミナの縁談に困惑する隣人の娘。アーミナは言う、「今は結婚式などしている場合じゃないと言いたいのでしょう、でも、いったいいつまで待てばいいの? 今だからこそ、私たちは結婚して、子どもを創らなくちゃいけないのよ。」だが、娘が困惑するのは、アーミナが娶わせようとしている自分の姉もアーミナの息子もすでに殺され、この世にはいないからだ。愛する者を次々に奪われてゆくという暴力のなかでアーミナはいつしか精神に失調をきたしており、彼女が夢想する縁結び――死者たちのそれ――は、狂気ゆえのことであることが作品を読み進むうちに明らかになる。

 大切な人々が、彼らの命など何の価値もないかのように、狙撃兵の銃弾一つで命を奪われてゆく。そんな非常事態のさなかに縁結びという営みは――小説を読むことと同様に――、一見、はなはだ場違いに見える。しかし、だからこそ彼女は、彼ら一人ひとりが暴力的に奪われた人間としての幸せな未来を夢想してやまない。それは、人間性を一顧だにされず殺されていった者たちに、人間としての尊厳を回復する営みであり、まさにこの点においてアーミナの「縁結び」とは「文学」の謂い、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』において「ヘールシャム」の教師たちが、あらかじめ人間らしく生きることを禁じられた子どもたちに与えようとしたものの謂いにほかならない。人間らしく生きることを否定されているからこそ、アーミナの愛する者たちは「縁結び」を必要とし、私たちにとっての例外的情況を日常として生きる者たちは、それゆえにこそ、ほかの誰にも増して文学を必要としているのだ。アーミナが生きているかぎり、彼女の狂気を帯びた縁結びへの情熱は、その死を誰にも記憶されることなく死んでいった者たちの人間としての尊厳を担保し続けるのである。「アーミナの縁結び」も「ヘールシャム」も、アウシュヴィッツ、そしてヒロシマへの応答でもある。

 だからこそ、今、レバノンで人々がイスラエルの猛爆にさらされているとき、文学に何ができるのかという問いは、中東研究者やアラブ文学研究者だけではない、およそ文学にかかわる者すべてに問われていることなのだと思う。文学こそが、ヨルダンへの途上、井戸に落ちて死んだ名も知れない難民の子どもが、井戸の底から最期に目にした七月の空の青さを語るだろう。「コラテラル・ダメージ(やむを得ない犠牲)」の一言で人間の死が正当化されるなかで、文学とはまさしく「戦争」の対義語なのである。


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受験問題はそのときの受験生だけではなく、未来の受験生に対する
大学側の強烈なメッセージでもあります。志望する方は、しっかり
受け取ってください。ランキングお願いいたしますm(__)m
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posted by Dieu at 15:21| Comment(0) | 小論文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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